結核で入院するまで (結核2)
2004年 12月 16日
なんだかブログ中毒のようになっています。
ものすごい数のブログがあって、ほんの数秒の間にどんどん発表されているわけですから、これを読んでいる人というのはほとんどいないのかもしれないけれど、まだ専業主婦に慣れない私は、誰かに何かを打ち明けることが出来ることが嬉しい!!
前回、回復中の今の状況を記してゆくと書きましたが、始めに現在に至るまでの流れを何回かに分けて書いてみたいと思います。
2月から咳が止まらず(近所の病院では気管支炎と言われました)、3月に典型的片頭痛で倒れ、退職を決意した私は、退職前に会社の健康診断を受けに行きました。レントゲンを前にした若い女医さんは「やばいよ。これ。すぐ病院行って。」とヒステリックに言いました。
「やばいって、あの、どうやばいんでしょう?」
「ほら、これ。影があるでしょう。悪いこと言わないから今日中に行って。」
こう言われて私が想像したのはもっと怖い病気の数々でした。
(どん底に突き落とされたような気分のままバリウムを飲み、歯科検診を受けました)
なので大学病院で結核ですと言われたとき、死なずに済むんだと嬉しかったのを覚えています。
結核の検査では、レントゲンと痰の検査をします。痰から菌が検出され、人への感染の可能性が出てくると隔離入院となるわけです。一端家に帰ることの出来た私ですが、翌日病院から電話がかかってきて、即入院の運びとなりました。
この辺り、何にもリアリティーがない。入院の準備と言ったって、何を持っていったらよいのかわからない。パジャマとタオルと本。無論全然足りませんでした。
最初に、私の頭に影を落としたのは仕事のことでした。誰に、どう報告するか。引継ぎをせぬまま7年勤めた会社を辞めるのは悲しかった。人の多い会社だったので、誰にでも結核と言えるわけでもない。「いきなり会社に来なくなる」そんなやめ方をする人間だと思われるのがいやだった。
無論誰かにうつしていたらという不安もあったけれど、この時点では病気の怖さをわかっていなかったし、保健所もついていたので、それほど悩みこんではいませんでした。
ものすごい数のブログがあって、ほんの数秒の間にどんどん発表されているわけですから、これを読んでいる人というのはほとんどいないのかもしれないけれど、まだ専業主婦に慣れない私は、誰かに何かを打ち明けることが出来ることが嬉しい!!
前回、回復中の今の状況を記してゆくと書きましたが、始めに現在に至るまでの流れを何回かに分けて書いてみたいと思います。
2月から咳が止まらず(近所の病院では気管支炎と言われました)、3月に典型的片頭痛で倒れ、退職を決意した私は、退職前に会社の健康診断を受けに行きました。レントゲンを前にした若い女医さんは「やばいよ。これ。すぐ病院行って。」とヒステリックに言いました。
「やばいって、あの、どうやばいんでしょう?」
「ほら、これ。影があるでしょう。悪いこと言わないから今日中に行って。」
こう言われて私が想像したのはもっと怖い病気の数々でした。
(どん底に突き落とされたような気分のままバリウムを飲み、歯科検診を受けました)
なので大学病院で結核ですと言われたとき、死なずに済むんだと嬉しかったのを覚えています。
結核の検査では、レントゲンと痰の検査をします。痰から菌が検出され、人への感染の可能性が出てくると隔離入院となるわけです。一端家に帰ることの出来た私ですが、翌日病院から電話がかかってきて、即入院の運びとなりました。
この辺り、何にもリアリティーがない。入院の準備と言ったって、何を持っていったらよいのかわからない。パジャマとタオルと本。無論全然足りませんでした。
最初に、私の頭に影を落としたのは仕事のことでした。誰に、どう報告するか。引継ぎをせぬまま7年勤めた会社を辞めるのは悲しかった。人の多い会社だったので、誰にでも結核と言えるわけでもない。「いきなり会社に来なくなる」そんなやめ方をする人間だと思われるのがいやだった。
無論誰かにうつしていたらという不安もあったけれど、この時点では病気の怖さをわかっていなかったし、保健所もついていたので、それほど悩みこんではいませんでした。
by masagonasu
| 2004-12-16 20:17
| 結核