多剤耐性が怖くて、お守りがわりにビーズで十字架のモチーフを編んでみたり(クリスチャンではないのですが・・・)失敗したモチーフもバチがあたりそうで(クリスチャンはこんなこと言いません)ほどけなかったり、なんとなく不安を抱えながら検査結果を待ちました。結核病棟といっても私のところは二つに分かれていて、人に感染させる恐れのある人のいるB棟と排菌の弱まった人のいるA棟とに分かれていました。B棟では病室のほかは、屋上くらいしか居場所がありません。(談話室は、色々な菌があるから行かないほうがいいと、看護師さんから言われていました。)買い物は、所定の日にリストを見て申し込んでおくと、売店の人が部屋まで運んできてくれます。お医者さんも、床屋さんも病室まで来てくれます。
さて、そうこうするうち入院して1ヶ月以上の月日が経ち、A棟に移れる日が来ました。このときは本当に嬉しかったです。A棟の患者は、売店と庭に出ることが出来ます。排菌が弱まった人たちばかりですから、病棟全体がなんとなく開放的です。
はしゃいで売店に行き、洒落たものなんて何も売っていないお店なのに、じっくりじっくり商品を見て、えびせんべいとジャスミンティーを買いました。はしゃぎすぎてめまいがしたくらいでした。
それから数日経って、検査の結果がわかりました。
イスコチンが耐性。それで入院期間は1ヶ月伸び、治療期間は6ヶ月から9ヶ月に延びました。一生のうちで考えたら、大差ない時間です。けれども効かない薬があるということが、私は恐ろしくてたまらなかった。
病院には様々な患者さんがいます。中にはルールを守らない人や暴言を吐く人もいます。そういう人たちも順調に退院してゆく中で、自分はさらに1ヶ月入院して本当にイスコチンが耐性なのか別の方法で検査してもらわなければならなりません。薬もさらに1種類追加されることになりました。
これまで私は努力や愛嬌で何とかなる世界で生きてき過ぎたのだと思う。でも人生は、それだけじゃない。大袈裟かもしれないけど、そう思いました。悲観論とかではなくて、そういうものなんだなぁと。看護師さんの言うことをきいて優等生の患者を振舞っても、検査の結果が良くなるわけではない。でも、じゃあ、どんな振る舞いをしてもいいかというと、そんなことをするのは自分自身いやだ。人生は、定められた何かの上にあって、その上で作り上げてゆくものなんだなぁと思いました。
結局別の方法で検査をしてもイスコチンは耐性。けれど病気自体は順調に回復し、治療方針が決定したところで退院することが出来ました。退院後も順調で、薬も今は2種類に減りました。
ここまでが、現在に至るまでの大まかな流れです。
これから日記のようにして、ブログを続けてゆくにあたって、やはり結核体験ははずせなかったので一気に書いてしまいました。『ガラスの仮面』にひかれて見に来てくださった方、重くてすみません。これからは明るい話題(?)も、取り入れてゆく予定です。